Deal, T. E., & Kennedy, A. A. (1982). Corporate cultures: The rites and rituals of corporate life. Reading, MA: Addison-Wesley.
邦訳, テレンス・ディール, アラン・ケネディー (1983)『シンボリック・マネジャー』(城山三郎 訳). 新潮社.


 1980年代に入ると米国企業の生産性の伸びの低下を嘆く論調が強くなってきた。そんな米国企業に取って代わって躍進してきた日本企業を目の当たりにして、文化という言葉がキーワードになってきたのである。その裏側には、組織文化の形を借りて、日本的経営の長所を見習って、それを取り入れようという動きがあった。その代表的存在が、オオウチのベスト・セラー『セオリーZ』(Theory Z) (Ouchi, 1981)であった。直接的に日本的経営を移植するのではなく、文化はその企業の基本的な価値と信念をその従業員に伝達する一連のシンボル、儀式、神話からなっているとし(Ouchi, 1981, ch.2 邦訳p.68)、日本企業とよく似た文化の米国企業に見習って文化を変えることを提言していた。

 同様の路線で書かれているディール(Terrence E. Deal)=ケネディ(Allan A. Kennedy)の『企業文化』(Corporate cultures; ただし翻訳の邦題は『シンボリック・マネジャー』)は、全編が興味深い逸話に満ちた逸話集のような本である。この本は、日本の店のレジでもよくその商標「NCR」を見かけたナショナル・キャッシュ・レジスター社(National Cash Register; NCR)の元会長エリン(S. C. Allyn)が好んで話したという次のような印象的な話から始まる(Deal & Kennedy, 1982, pp.3-4 邦訳pp.13-14)。

 エリンは1945年8月、第二次世界大戦終戦後初めてドイツを訪れた連合国側の民間人の1人として、戦争直前に建てられたNCRの工場を見に行った。焼け落ちたビル、瓦礫、廃墟を抜けて工場跡までたどりつき、煉瓦、セメント、木材をかき分けていくと、なんと2人のNCR社員がいるではないか。6年振りの再会である。服はぼろぼろ、顔は煙ですすけて真っ黒だったが、瓦礫の後片付けに励んでいる。エリンが近づくと、1人が顔を見上げてこう言った
「きっと来ると思ってました」。
エリンも彼らに加わり3人で一緒に後片付けをしていると、数日後、今度は米軍の戦車が轟音を轟かせてやって来た。運転席のGI(米軍兵士)が笑顔でこう言った
「やあ、僕はオマハ(米国ネブラスカ州東部ミズーリ川に臨む河港都市)のNCRだ。君達は今月のノルマを果たしたかい」
。 工場の建物は破壊され、あらゆるものが荒廃を極めていても、会社はこうして生き残り、NCRの強烈な販売志向は損なわれなかったのである。ディール=ケネディはこう言う。ビジネスは豪華な建物でも、ボトムラインでも、戦略的分析でも、5ヶ年計画でもない。会社が本当に存在したのは従業員の心の中だった。NCRは過去においても、現在においても、一つの企業文化(corporate culture)なのである。そこで働く人々にとって大きな意味を持つ価値、神話、英雄、象徴の凝集なのである。

 しかし、1960年代になるとコングロマリットの時代となり、シャープペンシルを手にした財務部門の人達が昇進した。1970年代は戦略的計画の時代で、問題児、負け犬、金のなる木、花形で武装したMBA達が出世した。その危険性は明白である。経営者は一時的流行につられて昇進させるのをやめる必要がある。成功するためには、その代わりに企業の中心的な価値を体現している人々を昇進させなければならない(Deal & Kennedy, 1982, p.49 邦訳p.74)。

 1980年代初頭、米国では米国企業の生産性の伸びの低下を嘆く論調が目立つようになっていた。1960年代〜1970年代に隆盛を誇ったMBAの分析、ポートフォリオ理論、費用曲線、計量経済学モデルではこうした問題は解決できなかったのである。当時、日本では米国と比べて、従業員がはるかに企業に一体感をもち、経済・社会における企業の役割に共鳴しているように見えたために、日本の経営を見習えと主張する本も何冊か出版された。同時に、米国でも成功のモデルと見なされる企業は同様の特色をもっているということもわかってきていた。そうした中でディール=ケネディによって唱えられた解決方法は、次のように明解である(Deal & Kennedy, 1982, p.5 邦訳p.15)。米国企業はNCR, GE, IBM, P&G, 3Mといった米国の偉大な会社を作り上げたオリジナルの概念やアイデアに帰る必要がある。1960年代後半からのM&Aブーム、コングロマリット・ブームが始まる前の米国の企業を見習うべきだ。

 ただし、その頃の米国企業は、出版当時の日本企業と同じ様な企業文化をもっていた。例えば、マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業したてのエンジニアの卵が、ベネズエラのゼネラル・エレクトリック社(GE)に初出社したときの話。

「真新しい計算尺をもって、新調のスーツを着て、大学の指輪をはめて出社したのです。無愛想な年配の上役が私を迎えるなり、ほうきを渡さして、床を掃けと言うじゃないですか。もちろん、私は口をぽかんとあけて、しばらく突っ立ったままでした。(中略) しかし、新入りでしたから、言われたとおりにしました。あれはまたとないいい教訓でした。」(Deal & Kennedy, 1982, p.65 邦訳p.94)

 つまり、人々が企業を動かしていることを思い出す必要がある。そして、文化がいかにして人々を結び付け、日々の生活に意味と目的を与えているかについて、先人の教訓を学び直す必要がある。米国企業の創立者達は強い文化(strong culture)が成功をもたらすと信じ、従業員の生活と生産性は彼らの働く場によって決まると信じていた。従業員が生活の不安を感じることなく、それゆえ事業の成功に必要な仕事ができるような環境つまり事実上の文化を社内に作り出すことが自分達の役割であると考えていた。これら初期のリーダー達の教訓は社内で代々の経営者に受け継がれてきた。彼らが注意深く築き、育んだ文化が、景気の浮沈を乗り越えて、組織を維持してきたのである。


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