高橋伸夫(2005)『〈育てる経営〉の戦略: ポスト成果主義への道』講談社. (講談社選書メチエ 328)

はじめに (抜粋)

育てる経営という思想

 講演会やセミナーの後の質問の時間や懇親会などの場で、経営者や管理者の方々から意見を聞かれることが多くなった。私としては一つ一つの質問に個別に一生懸命お答えをし、感想を述べ、励まし……。しかしあるとき、私はあることに気がついた。そうした私の答の締めくくりが、ほとんどの場合、同じ内容であることに気がついたのだ。すなわち、

「その会社を担う次の世代を育てられた会社だけが、生き延び、成長してこられたのです。」

 これまで、少なくとも歴史ある企業の経営者の方々で、この「命題」を否定するような人には会ったことがない。これからもないだろう。なぜなら、愚直なまでに不器用に、未来を残すために次世代を育ててきた組織だけが、生き残ってこられたのだから。だとすれば、生き延び、成長することを志向する会社と経営者は、この命題に合致した戦略、システムを構築すべきなのである。その根底にあるものが本書の主張する「育てる経営」なのだ。 ところが、困ったことに「育てる経営とはなんだろうか?」という問いかけをすれば、多くの人から
「人材育成ということでしょう? そんなこと言われなくたって、どこの会社でもやっていますよ。」
と、すぐさま国語の試験の解答のような反応が返ってきてしまう。しかし、私があらためて問いたいのは、育てる手法や方法論の問題ではない。それ以前の考え方や信念の問題、あえて言えば「思想」の問題なのである。

 そうした「思想」の違いは、普段の社会生活の中ではほとんど顔を見せない。しかし、ひとたび深刻な問題に直面すると、にわかに顕在化してくることになる。その一つが成果主義だった。成果主義の犯した最大の罪は、そもそも賃金制度の問題ではなかった経営問題の多くを賃金問題に矮小化してしまったことにある。そのことで、多くの経営者・管理者が思考を停止させ、彼らが本来自ら責任を持って解決すべきだった経営問題の多くが見過ごされ、先送りされてしまった。

 その副作用は深刻なものだった。育てる経営を実践してきた多くの会社では、成果主義導入が混乱を引き起こし、大切なものを次々に破壊していった。駆逐するだけの体力のある会社は、いまや成果主義を骨抜きにする免疫を身に付け、混乱から脱しようとしている。多少落ち着いて、目の前で展開していたその病変の一つ一つを追いかけてみれば、そもそも「思想」が異なっていたという事実を容易に確かめることができるはずだ。成果主義は、「一発当てたら売り抜けて精算する」タイプのベンチャー企業には適していたかもしれないが、「育てる経営」とは相容れないシステムだったのだ。 それでは、「育てる経営」に適した人事システム、処遇のシステムとはいかなるものであろうか。幸いなことに、それは、われわれのような世代の人間にとっては、特に目新しいものではない。私が「日本型年功制」と呼んでいるものそのものなのである。(ひょっとすると最初から成果主義の会社に入社してしまった20代の若い会社員にとっては、新しいものかもしれないが……。)

 この「日本型年功制」のシステムを年功序列だと考えることは重大な事実誤認である。「日本型年功制」は明らかに年功序列ではなかった。私が拙著『虚妄の成果主義』で主張したかったことは、次のような事実なのである。

ある程度の歴史を持った(つまり、生き延びてきた)日本企業のシステムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムだった。仕事の内容がそのまま動機づけにつながって機能してきたのであり、それは内発的動機づけの理論からすると最も自然なモデルでもあった。他方、日本企業の賃金制度は、動機づけのためというよりは、生活費を保障する観点から平均賃金カーブが設計されてきた。この両輪が日本企業の成長を支えてきたのである。それは年功序列ではなく、年功ベースで差のつくシステムだった。

 「育てる経営」という思想を実践してきた企業が、長い時間をかけて、「日本型年功制」というシステムを体現するようになったのだ。だから、「育てる経営」を実践するのであれば、今こそ原点に立ち返り、従業員の生活を守り、従業員の働きに対しては次の仕事の内容と面白さで報いるようなシステム「日本型年功制」をより洗練された形で再構築することを目指すべきなのである。

 そこで本書では、まず前半で、「成果主義の失敗」という実験を通して、逆に浮き彫りになってきた「育てる経営」の実像をできるだけ実例にひきつけて彫塑したい。次に本書の後半では、経営学の学説、特に経営戦略論の流れの中で、試行錯誤を通じて、「育てる経営」的な考え方が20世紀末には支配的になっていたことをできるだけわかりやすく解説することで、「育てる経営」の真っ当さを説いてみたい。実は、青色LED訴訟で注目を浴びた発明の対価の問題も、この流れの中で整理が可能なのである。

 思えば、私が20代の駆け出しの研究者だった頃から接してきた日本の大企業は、それぞれが個性的だった。たとえ名称は同じでも、制度やシステムの具体的な内容は各社でバラバラだった。ところが、それにもかかわらず、「思想」的にはほとんど同じものを共有しているように感じられた。それが「育てる経営」なのである。それは大企業だから似ていたのではなく、そうした「思想」をもった会社だけが、経済の浮沈を乗り越えて生き延び、成長してこられたからなのであろう。そう考えるのが合理的だ。それこそが、若かりし頃、まだ青臭い私が年長の企業人から徹底的に叩き込まれた基本的な「思想」なのである。その教えを、今度は私から企業人に伝え返すために、私は本書を執筆する。


目次

第1章 客観評価の虚妄
第2章 貧困な発想
第3章 『虚妄の成果主義』が批判したもの
第4章 目的はモチベーション
第5章 人的資源は買えない
第6章 競争優位の源泉としての資源・能力蓄積過程
第7章 例解: 発明の対価
第8章 育てる経営

あとがき (抜粋)

若い世代は大人の言葉を求めている

 お願いである。どうか、自分たちの経験や思いを若い世代に伝えてやって欲しい。その経験と思いを彼らに生かしてやって欲しい。

 われわれの世代以降、どうも人の意見を聞きさえすれば民主的だと勘違いしているようだ。しかし、若い人は社会や会社のことは何も知らないのだ。彼らに意見を聞いても、正直、答えられないケースの方がはるかに多いはずである。入社早々の新人に「年功制がいいか成果主義がいいか」と訊ねても、彼らには判断できないだろう。彼らは馬鹿ではない。しかし情報がないのだ。仮に入社早々の新人が、成果主義がいいと答えて、何年かたって彼らに不利益が生じたときに「成果主義は君の選択だ。だから君に責任がある」と責任を押し付けるのでは汚すぎる。彼らに情報を与えてやってほしい。意見を聞く前に、彼らに判断の材料を提供してあげてほしい。

 それに、われわれの世代以降、「嫌われたくない」症候群にかかっている人が多すぎる。こんなことを言ったら嫌われるのではないか、煙たがられるのではないかと怯え過ぎである。若者の将来を考えれば、
「最近の若い人は飲みに行くのも嫌がるし。」
などといわずに、首根っこをつかまえてでも連れて行き、たとえ自分一人が嫌われようとも、自分たちの成功体験や失敗体験、そして、自分たちがどんなときに仕事のやりがいを感じ、どんなときにやる気を失ったか、自分たちの体験を伝えるべきなのだ。会社や仕事に対する自分たちの思いを伝えるべきなのだ。

 アルコールがだめだという新人には
「ウーロン茶を飲んでいてもいいから、そこに座って話を聞いていろ」
と聞かせてもいいではないか。たとえ同じ話の繰り返しがあろうと、若者には合わないような話であろうと、とにかく伝えるべきである。そうすることで、はじめて若者にも、将来の仕事のイメージや自分のキャリア・パス、自分の会社のポジショニングなどが分かってくるのである。そんなプロセスなくして、会社の未来を託すことのできる若者が育つわけがない。たとえ煙たがられようが、嫌われようが、そうした話を数年間は聞かせるべきなのである。そんな努力もしないで、「嫌われたくない」症候群にかかったままで、若い人の意見を尊重しているなどと口にするのは自己欺瞞である。

 そんな話を何年も聞かされた上で、それでも彼らが
「もう先輩たちのような生活はうんざりですね。僕たちも同じようなことをしなくてはならないのだったら、こんな会社辞めてやります。」
と言うのだったら、
「そうか、じゃあシステムを変えるしかないな。」
と決めればいいのである。

 しかし、私は確信している。若者は決してそんな否定的なことは言わないはずである。日ごろ、若い人たちと接している大人の一人として、私はそのことを確信している。なぜなら、若い人は、大人が自分の言葉で大人の話をしてくれることを待っているからだ。大人の率直な言葉を若い世代は求めている。親からあまり説教されることがない彼らゆえに、上司や先輩から真剣に話をされると意外と素直に感動したりするのである。だから、大人の世代も、若者に媚びることなく、彼らに嫌われることを恐れず、自分たちの体験や考えを飾らずにストレートに伝えることが大切なのである。彼らが説得力を感じる話とは、評論家的でスマートな分析などではない。偉い学者や経営者の説の受け売りでもない(そもそもそんなことは本を読めば書いてある)。たとえ失敗談であろうとも、ぎこちない体験談であろうとも、自分できちんと責任を引き受けた人が、自分の言葉で語る話にこそ説得力を感じるのである。聞いたときは馬鹿みたいだと思って聞いていた話が、何年かたってから納得できたという経験は、誰にだってあるはずだ。そんな大人の話のできる人間になろうではないか。そんな資格のある人間になろうではないか。

会社の未来を担う若者のために

 今、会社にとって必要なことは、安価で仕事を引き受ける請負人を調達することではない。手間暇かけてでも、10年後、20年後、その会社の柱となって担っていく次の世代を育てていくことである。彼らに、自分たちの思いや経験を伝えておかないと。DNAのようなものを伝えておかないと。

 そして、自覚しないと。本当に欲しいのは、ただ器用に仕事がこなせるだけの人間ではないことを。たとえ不器用でも、時間がかかっても、自分たちの思いを血肉に変えて引き継いでくれる本当の意味での柱となる人材だということを。未来はどこか遠くを漂っているのではない。今あなたの目の前にいるのだ。

 本でも記事でも講演でも、機会あるごとにお願いさせてもらっていることだが、これはもう経営学者としてではなく、一大学教師としてのお願いである。たとえ面子のために「成果主義」の看板を下ろせなくても、若者たちに対しては、せめて運用面だけは年功制に戻してほしい。学生を社会に送り出す側の人間の一人として、彼らに理不尽でつらい経験をさせたくないのだ。仕事を覚えたての頃の失敗や苦労は、人が成長するためには貴重な体験・財産なのだから、若い人に対しては、成果がどうの、成績がどうのと、いちいち目くじらを立てずに勘弁してあげてほしい。若者が、日々の生活の不安におびえることなく、仕事に夢中になって取り組めるような「日本型年功制」的な運用をぜひ心がけてほしい。若いうちに、彼らに仕事の面白さを教えてやってほしい。

 若者に必要なのは「金」でも「客観評価」でもない。必要なのは、われを忘れて夢中になれる仕事であり、自分が成長しているという手ごたえであり、仕事の達成感なのである。大学を卒業して5年〜10年たってからゼミのOB・OG会に姿を現し、
「最近ようやく仕事の面白さが分かってきました。」
と話すときの卒業生の輝く笑顔にこそ、われわれの求める答がある。なぜなら、

仕事の面白さに目覚めた人間だけが、本当の意味で一生懸命働くのだから。

彼らこそが本当の意味での財産なのだ。どうか手塩にかけて、若者たちに仕事の面白さを教えてやってほしい。そして、あなたと働くことの楽しさも。あなたが若い頃(日本型年功制の下で)、先輩たちから、そうしてもらってきたように。


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