Chua, R. Y., Morris, M. W., & Ingram, P. (2009). Guanxi vs networking: Distinctive configurations of affect-and cognition-based trust in the networks of Chinese vs American managers. Journal of International Business Studies, 40(3), 490-508. https://doi.org/10.1057/palgrave.jibs.8400422 ★★☆ 【2022年6月29日】


 中国社会では昔から(紀元前の戦国時代の頃から?)使われてきた「関係」(グアンシー; guanxi)と呼ばれる個人レベルのつながりを示す概念がある。中国人留学生の解説によれば、「関(guan)」はgateを意味し、「係(xi)」はconnectionを意味していて、ネットワークに入るには関門を通らなければならないというようなニュアンスをもつらしい。日本語の「関係」(英語だとrelation)とは大違いなので、ここではカタカナで「グアンシー」と呼ぶことにする。このグアンシーの慣行があるので、中国人管理者とアメリカ人管理者とではネットワーク内での信頼関係が異なるのではないか、というのがこの論文の関心である。

 調査対象は、中国(北京・上海・貴州)と米国のエグゼクティブMBAコース(社会人向け短期講座)に参加した管理者、中国人203人、米国人130人である。使われている手法は基本的にネットワーク分析で、管理者のエゴセントリック・ネットワーク(ego-centric network)を調べている。これは当該個人(エゴ)と直接紐帯で結ばれている行為者(アルター)の関係のみによって成立するネットワークのことである。具体的には、エゴである管理者に、

  1. 直接関係のあるアルターを最大24人リストアップしてもらい、次に
  2. アルターの間に二者間関係があるかを聞く、そして
  3. アルターをたとえば24人挙げている場合には、アルター間には、最大で276 (=24×23÷2)本の紐帯を引けるわけだが、そのうち実際に何本紐帯(二者間関係)があったのかの割合をこの論文ではアルターの埋め込み度(alter's degree of embeddedness)と呼んでいる。
が、iiiの埋め込み度なるものは、ネットワーク分析では、通常、エゴセントリック・ネットワークの密度(density)と呼ばれている(エゴとの直接の紐帯も含めて密度を計算する方法もあるが、それだと相対的に差が小さくなってしまう)(安田, 1997, p.79)。実際問題、「アルターの埋め込み度」では、まるで意味不明なので、ここでは通常通り「エゴセントリック・ネットワークの密度」と呼ぶことにする。面白いことに、アメリカ人平均21.61人、中国人平均23.22人と、どちらも上限24人に近い数のアルターをリストアップしてくれていて、エゴセントリック・ネットワークの密度はアメリカ人0.30より中国人0.36の方が高かった(Table 1)。平均値の差の検定くらいはしておいてほしかったが。

 さらに、リストアップされた各アルターについて、

  1. 感情ベースの信頼(affect-based trust):
    1. 個人的な問題や困難を共有することが心地よい
    2. 希望や夢を共有することが心地よい
  2. 道具的な(instrumental)認知ベースの信頼(cognitive-based trust):
    1. 約束したことをやり遂げる
    2. やり遂げるための知識や能力がある
をそれぞれ5段階(1=まったくない、5=大いにある)で示すように求めてA、Bそれぞれで平均をとった。すると、感情ベースの信頼と道具的な認知ベースの信頼の間の相関は、アメリカ人0.35よりも中国人0.55の方が強かった(仮説1)。また、感情ベースの信頼と認知ベースの信頼を被説明変数とする重回帰分析をそれぞれ行った結果、Figure 3で示されるように、エゴセントリック・ネットワークの密度が高いと、中国人の場合は道具的な認知ベースの信頼が高くなるが、アメリカ人の場合は効果がなかった(仮説3)。

 つまり、中国人管理者は、エゴセントリック・ネットワークにおける感情ベースの信頼が道具的な認知ベースの信頼に結びついており(仮説1)、密度の高いエゴセントリック・ネットワークに属している方が道具的に頼りがいがあると感じている(仮説3)ということになる。分かりやすく言うと(言い方は悪いが)、中国人管理者は道具的認知が感情と群れに流されている。それはグアンシーのせいだという結論にでもなるのだろうか。それとは対照的に、アメリカ人管理者の冷静さは一体何なのだろう。公私をわきまえているというべきなのか、私はむしろ、アメリカ人管理者の冷静さの方に興味を覚えた。それはどこから来るのか。この論文では「プロテスタントの倫理」に求めているようだが・・・・。

 実は、この論文の本文の冒頭5行目にマックス・ウェーバー(ドイツ語読みだとヴェーバー)のWeber (1904/1930)が初引用され、それ以降も「プロテスタントの倫理」に言及するたびに頻繁に引用されているが、これは引用的にも内容的にも間違いである。引用的には、正しくはWeber (1920/1930)としなくてはならない。Weber (1920)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus) は、『宗教社会学論文集』(Gesammelte Aufsatze zur Religionssoziologie)第 1 巻として本となって出版されているものである(Weberは刊行を目前にして同年に急逝している)。この本は、1904/1905 年に『社会科学・社会政策雑誌』(Archiv fur Sozialwissenschaft und Sozialpolitik), Vol. 20, pp. 1-54/Vol. 21, pp. 1-110 に発表された同名の原論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」(“Die protestantische Ethik und der ≫Geist≪ des Kapitalismus”)に改訂を加えたもので、Weber (1904)だけだと、Weber (1920)の第1章部分しかない。Weber (1930)とあるのは、1930年に出版された有名なパーソンズ(Talcott Parsons)によるWeber (1920)の英訳(Weber, 1920/1930) The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalismのことである。とはいえ、この論文のReferencesに挙げられている本はパーソンズ訳1930年版とは出版社が違う(しかも、書いてある出版社Allen & Unwinだと、出版地は米国マサチューセッツ州ではなく英国Londonのはずなのだが)。こんなずさんな感じなので、後は推して知るべしだが、Weberの言っている「プロテスタンティズムの倫理」とは、この論文が言っているような「ビジネスに感情を持ち込むことは職業倫理に反する」みたいな単純な職業倫理の話ではない(詳しくは高橋(2011)、できれば高橋(2013)を参照してほしい)。したがって、ウェーバーの主張は、この論文が言っているような感情の話とは無関係なので注意がいる。では、どこから来るのか。


《参考文献》

高橋伸夫(2011)「殻(1): “鉄の檻再訪”再訪」『赤門マネジメント・レビュー』10(4), 245-270. https://doi.org/10.14955/amr.100401

高橋伸夫(2013)『殻』ミネルヴァ書房.

安田雪(1997)『ネットワーク分析: 何が行為を決定するか』新曜社.

Weber, M. (1920). Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus. Tubingen: Verlag von J. C. B. Mohr.

Weber, M. (1930). The Protestant ethic and the spirit of capitalism (T. Parsons, Trans.). New York: Charles Scribner's Sons. (Original work published 1920).


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