高橋伸夫(1997)『日本企業の意思決定原理』東京大学出版会.

Takahashi, N. (1997). Principles of decision-making in Japanese firms. Tokyo, Japan: University of Tokyo Press (in Japanese).


出版社版(オンデマンド版)】1992年11月20日発行(2011年12月1日)
著者版(全文HTML)】2018年2月19日公開
著者版(全文PDF)】2018年2月23日公開(東京大学学術機関リポジトリ)

 きれいで美しいゲーム理論の世界、決定理論の世界、近代組織論の世界。それは、この本の第1部、第2部、第3部のそれぞれ冒頭の章で紹介している通りである。ところが、日本に暮らすわれわれ、特に日本企業とそのメンバー達は、それらの理論から見ると一見不合理な世界に生きている。しかし、われわれの生きている世界が本当に不合理かというと、そんなはずはない。もし本当に不合理ならば、われわれの互いの行動も全く予想がつかず、社会生活など不可能で、われわれの目の前には支離滅裂でばらばらな光景が展開しているはずだからである。何か筋が通っているような気がする。はっきりとはしていないが、何かに導かれて行動しているように感じられる。それでは、われわれは一体何に導かれて行動しているのだろうか? それに対する私の答えは「未来の重さ」である。「未来の重さ」に導かれて行動しているからこそ、われわれの世界は破綻をきたさずに済んでいる。これがこの本の結論である。

均衡より協調そして未来(第1部)

 人は、何かものごとを決める際に、意識している意識していないにかかわらず、何らかの原理・原則に則って意思決定を行なっているものである。それをここでは意思決定原理と呼ぶ。ゼロ和2人ゲームであれば、マクシミン原理に導かれて均衡点に到達することができる。しかし、非ゼロ和2人ゲームになると、均衡点は存在するものの、もはやマクシミン原理で到達できる保証はなくなる。しかも非ゼロ和ゲームでは、その均衡点自体、実際上、どれだけ意味のあるものか怪しくなってくる。例えば、ゲーム理論で考えれば、裏切り合いの共倒れで均衡するはずの囚人のジレンマ・ゲームであっても、「未来の重さ」が大きい長期間のゲームでは、実験でもシミュレーションでも協調関係が現れるようになり、均衡点は現実的には意味を失う。そして、

  1. 刹那主義的に、その場限りの「今」の充実感、快楽を求める「刹那主義型システム」と、
  2. 10年後、20年後、あるいはもっと先を考えて、いまは多少我慢してでも凌いで、未来を残すことを考えた「未来傾斜型システム」
とが競争すれば、短期的には「1. 刹那主義型システム」が羽振りをきかせる時期があったとしても、結局、何十年か後をみてみると、生き残っているのは「2. 未来傾斜型システム」に違いないからである。まさにイソップの「アリとキリギリス」の寓話そのものではないか。ゲーム理論や決定理論では、均衡や安定の観点から意思決定原理を見てきたために、未来傾斜型システムは見逃されてきたのである。 しかし、「未来の重さ」が存在している時には、ゲーム理論や決定理論で登場してきたものとは全く別の系統の意思決定原理が機能し、生き残ってきているはずだ。この本で「未来傾斜原理」と呼んでいるものは、まさにその好例である。未来傾斜原理とは、過去の実績や現在の損得勘定よりも、未来の実現への期待に寄り掛かって意思決定を行うという原理である。もし仮に「未来の重さ」が非常に大きければ、その未来への期待に寄り掛かり傾斜した格好で現在を凌いで行こうという行動につながることは容易に想像できる。これこそが未来傾斜原理に則った行動なのである。例えば、日本企業のもつ強い成長志向、より正確に言えば、今は多少我慢してでも利益をあげ、賃金や株主への配当を抑え、何に使うかはっきりしていない場合でさえ、とりあえずこつこつと内部留保の形で、将来の拡大投資のために貯えることは、未来傾斜原理の典型的な発露である。日本企業では、雇い主は従業員を解雇あるいは一時解雇しようとはしないし、また従業員も辞めようとしないということが指摘され、終身コミットメントと呼ばれているが、自分が定年退職を迎えるまで自分の会社が存続しているかどうかもわからない場合でさえ、こうして未来傾斜原理に則った意思決定が行われる。実際、日本企業では、「未来の重さ」を表す指数の一種と考えられる見通し指数によって、職務満足も退出願望もほぼ説明が可能である。しかも「未来の重さ」が大きくなるほど、現在の職務満足は退出願望には結び付かなくなるという未来傾斜的な傾向も見られる。

チャレンジこそ発想の原点(第2部)

 いわゆる期待効用原理で、現在価値に直して清算してしまうような未来に、本当に意味があるのだろうか。実は、確率が入ってくるような状況、より正確にいえば、「未来の重さ」が存在するような状況に置かれた途端、我々の仕事観、世界観は大きく変わってしまっているのである。事実、ワーク・モティベーションの世界では、「未来の重さ」の下では期待効用原理は色あせ、それとは入れ替わりにチャレンジの概念が大きな意味を持ち始める。「未来の重さ」が存在しているところでは、チャレンジの概念が示唆しているように、自ら成長し、そして育てることの中にこそ、未来の本当の価値があるのである。日本企業では、従来の外的報酬を基礎に置いた動機づけモデルでは説明の付けられないような現象が見られる。その代表が「ぬるま湯的体質」である。ぬるま湯感を説明するための枠組みとして「体感温度仮説」が検証され、企業でぬるま湯感が発生する際には、その企業のまさに成長性が発生要因として大きな位置を占めることもわかってきた。ぬるま湯の現象が日本企業で多く観察されるということは、まぎれもなく、日本企業に勤める多くの従業員が、少なくとも動機づけの場面においては、期待効用原理の世界ではなく、未来傾斜原理の世界に住んでいるということを示している。実際、ぬるま湯の状態は期待効用理論で考えられているような外発的動機づけの存在しない状態なのに、組織に貢献している状態だったこともわかっている。「未来の重さ」が存在するところでは、チャレンジし、自ら成長し、そして育てることにこそ、本当の価値がある。期待効用的な外発的動機づけは色あせ、意味を失っていくのである。

成長のためにやり過ごして尻ぬぐい(第3部)

 素朴な意思決定論には馴染まない現実の意思決定状況を説明するための分析枠組みとして、ゴミ箱モデルが提唱されるが、このゴミ箱モデルのシミュレーションを行った結果、注目すべき現象として「やり過ごし」が浮かび上がってきた。日本企業における調査データによっても、日常の組織的行動の中で、やり過ごし現象がごく普通に発生していることが確認されている。日本企業では、部下が上司の指示をやり過ごすことを必ずしも「悪い」現象として決めつけず、駆逐することもしないという現実がある。むしろ暗黙のうちに容認する傾向がある。それは「未来の重さ」が存在しているからなのである。やり過ごしてしまうことは確かに「コスト」になるには違いないのだが、しかし「未来の重さ」が存在しているところでは、将来の管理者や経営者を育てるためのトレーニング・コストあるいは選別コストであり、単なる無駄には終わらないのである。だからこそ、やり過ごしが容認されているケースが多い。現在のコストよりも、チャレンジさせ育てることに重きを置く、これも未来傾斜原理の発露にほかならない。ところで、やり過ごしを許容したとして、それが不首尾に終わったときには一体どうしたら良いのだろうか。これについての妙案はない。企業がトレーニング・コストや選別コストを覚悟するのは当然としても、結局は、誰かが尻ぬぐいをしなければ、組織は回っていかないのである。実際、企業を調べてみると、課長あるいは係長クラスでは、いわば職場の尻ぬぐい的な仕事をさせられていることが、業務の多忙感につながっていた。尻ぬぐいをする中心は「係長」に相当する職場リーダー達である。彼らが先輩にそうしてもらったように、彼らもまた後輩を育てている。そしてその後輩が次の世代を……。「未来の重さ」の存在しないところでは、このような未来傾斜型の人材育成システムは機能しない。「未来の重さ」が尻ぬぐい的行動に意味を与えているおかげで、人材育成を組み込んだままでも、日本企業の組織的行動やシステムは破綻をきたさずに済んでいるのである。


目次

    【第1部 未来傾斜原理】

  1. 意思決定原理と協調行動の進化
  2. 未来係数と参加の意思決定
  3. 終身コミットメントと未来係数
  4. 【第2部 未来傾斜型システムの成長志向】

  5. 期待効用原理とチャレンジ
  6. ぬるま湯的体質とチャレンジ・成長
  7. 【第3部 未来傾斜型システムの育成志向】

  8. 近代組織論とゴミ箱モデル
  9. やり過ごしと人材育成
  10. 尻ぬぐいと育てる経営
  11. 「未来の重さ」と経営者の仕事

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